【40代男性社員:Sさん】母国タイを離れ、憧れの「ものづくり大国」である日本で19年。文化や言語の異なる環境での挑戦。
昨今製造業の現場で大きな戦力として活躍している外国人労働者。株式会社H・R・Cにもタイ出身のSさんという技術者がいる。18歳の頃から2年間、母国タイから研修生として来日し、株式会社H・R・C(旧株式会社アズマ)にて研修。その後一旦帰国するも、家族の願いもあり再度来日。以来、異国の地である日本で長く働いてきた。当初は右も左もわからず、さまざまな困難に直面するが、生来の素直さと向上心でキャリアを積み上げてきた。文化や言語、価値観の異なる社員とどのようにコミュニケーションをとり、仕事を進めていくか。「外国人」としてではなく、会社の仲間の一人として接してきたH・R・Cの真摯な姿勢が垣間見えるインタビュー━━。
ものづくりのメッカに憧れ、母国タイを離れ来日。
―入社の経緯を教えていただけますか?
―Sさん:初めて日本に来たのは18歳の頃で、国のプログラムで研修生として来日しました。その際の受け入れ先が株式会社アズマ(元株式会社H・R・C)だったんです。2年間研修生としてお世話になった後は母国へ帰り、当時タイにあったH・R・Cのグループ会社、TKA.CO.,LTDで5年間働きました。その後、妻が日本へ行くことになり、私も一緒に再来日。仕事をどうしようかと悩んでいたところ、以前研修生の頃にお世話になっていたH・R・Cでご縁があり、以来19年間こちらで働いています。
―なぜ母国タイからはるばる日本へ?
―Sさん:ものづくりの国としてとても興味があったからです。小さい頃からテレビで大きな日本企業がどんどんタイに入ってきているのを見て育ちました。最先端のテレビや車を製造する日本企業やそこで働く人たちを見て、いつか本場の日本に行ってみたい、見てみたいと思っていました。学生の頃に、2ヶ月ほどタイの日本企業でものづくりの仕事に関わるチャンスを得たのですが、そこで初めて日本人と一緒に働くことができたんです。細部までこだわり細かいミスも許さない。品質にとても厳しい国民性を知り、さらに日本に行ってみたいと思いましたね。
異文化で、全く新しい環境での挑戦。
―文化や言語の異なる国で暮らすにあたり、難しいと感じる部分はありましたか?
―Sさん:食べ物が全然合わなくて、特に生ものが食べられませんでした。母国では生ものを食べる習慣が無かったので、刺身を見たときはびっくりしましたね。来日して一週間はずっと白ごはんと唐辛子ばかり食べていました。今となっては慣れましたし、刺身を食べるときはやっぱりワサビだよね、なんて言っています(笑)。あとは言葉がわからないのはもちろん、困った時に誰に相談すれば良いのかわからなかったのが辛かったです。
―お仕事の点ではどのような困難がありましたか?
―Sさん:わからないことが多くて、一日がとても長く感じたのを覚えています。ただ、研修生の頃にお世話になっていた人が何人かいらっしゃったので安心感はありました。仕事では、助けてもらったときは「ありがとうございます」、失敗したときは「ごめんなさい」をちゃんと伝えて素直にやってきました。せっかく遥々タイから日本に来たんだから、失敗しても素直に学び、技術を身につけて頑張ろうという気概でやっていたら、周りのみんなが助けてくれましたし、人情味のある雰囲気の良い会社で働けて良かったなと思っています。
―あたたかく受け入れてくれる風土があったんですね。
―Sさん:はい。今ではみなさん愛称で呼んでくれますし、気軽に冗談のやり取りができます。
「外国人」としてではなく、「会社の仲間の一人」として。
―外国人として、他に苦労したことはありましたか?
―Sさん:社内で「外国人」として見られることはあまりありませんでした。○○人としてではなく、人対人として、会社の仲間としてみなさん垣根なく接してくれています。また、母国タイに帰る際も年末に帰ると旅行費が高くなるので、11月に帰れるように会社のみんなが協力してくれました。そうしたみなさんのつくるあたたかい雰囲気の中で、楽しく働けているのが嬉しいですね。